震災、あれから11年、そしてこれから。(大熊町の取組)
11years after the Great East Japan Earthquake and the Future. (Projects in Okuma Town)
大熊町
OKUMA
大熊町は、東を太平洋に面し、積雪はほとんどなく、比較的温暖で自然に恵まれた町。震災前の1995年頃ヒラメの養殖施設ができたことから、養殖漁業がさかんとなる。また福島第一原子力発電所関連を主幹産業に、20-30代の生産年齢人口の転入も多く人口は増加傾向であった
2011年3月11日 東日本大震災
大熊町では、死者143人。
全壊 306棟/大規模半壊 717棟/半壊 1,924棟/一部損壊 29棟という甚大な被害に見舞われました。
震災前の大熊町
大熊町は、温暖な気候を生かして、梨やキウイの果樹栽培が盛んでした。また熊川を遡上する鮭、養殖のヒラメ等も町の特産品として親しまれていました。大熊町の人たちは、山、川、海といった多彩で豊かな自然の恩恵を受けながら、穏やかに暮らしていました。
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大熊町の名所
馬の背岬双葉地方の海岸線は、断崖が続く海食海岸が特徴。文字通り馬の背のように海に突き出した岬は、雄大な海の景色を見せてくれます。隣接する熊川海水浴場から眺望を眺めることができます。
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大熊町の風物詩
熊川の鮭まつり毎年10月末頃開催。当日朝、捕獲された生鮭やイクラ等を販売するほか、鮭のつかみ取り、溯上したサケと地元の新鮮野菜を使った「サケ汁」が振る舞われれ、多くの人で賑わいます。
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大熊町の文化
熊川稚児鹿舞
(無形民俗文化財)200年以上前から続く伝統行事。「鹿舞」と書いて「ししまい」。凶作や疫病が続いた時、鎮守である諏訪神社に「鹿」に扮して舞を奉納したことに由来。現在この郷土芸能をどのように守りつなげるかについて保存会が取り組む。
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大熊町の産業
養殖漁業大熊町は、魚貝類の宝庫である磐城沖に面していますが、漁港がなく漁業は活発ではありませんでした。そこに公共と民間が共同出資して大熊町ヒラメ養殖施設を開設。高級魚のヒラメが年間約2万匹生産され、地場産業として発展しました。
現在の大熊町
震災後、放射線量が低い元々田畑だったところに「小さなまち(復興拠点)」をつくるところから、大熊町の復興は、はじまりました。2022年6月30日「帰還困難区域」の内「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除。約11年ぶりに町の中心部が戻ってきたことで、町のすべてを取り戻す大熊町の復興への歩みはさらに進んでいきます。
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新たな施設
大熊インキュベーションセンター大熊町民と来街者との交流の場、ビジネスの玄関口として旧大野小学校がシェアオフィスとして生まれ変わりました。2022年7月22日開所式を実施。将来的には大熊町の基幹産業を生み出す拠点として機能していく予定です。
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新たな活動
大熊町聞き書き活動慶応義塾大の公認学生団体S.A.L.あじさいプロジェクトの学生が、環境省の協力を得て、大熊町の風土・文化・暮らしなどを町民23人から聞き取ってまとめた冊子「架け橋 伝えたい大熊の記憶」を発行し、完成を吉田淳町長に報告しました。
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新たな産業
イチゴ栽培スタート震災前に掲げていた「フルーツの里」 の復活に向け、大熊町の新たな特産品としてイチゴの栽培施設が 2019年4月操業を開始。事業を軌道に乗せ、復興の姿を見せたいと関係者は意気込んでいます。
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新たな活動
花いっぱい運動東京電力福島第1原発事故からの復興と人々の交流を生み出すことを目的に、故エリザベス英女王に「緑の魔術師」と称賛された世界的な庭園デザイナー石原和幸氏と町民による「花いっぱい運動」がスタート。四季折々の花が咲き誇る、明るい元気な大熊町をアピールします。
大熊町のこれから
ゼロ・カーボンビジョンー人にやさしく、地球にもやさしいまちづくりー
大熊町は、地域の再生可能エネルギーを活用した持続可能なまちづくりに取り組むことを決意し、2040年までのゼロカーボン達成を目標として掲げました。
将来、大熊町が「原発事故があった町」ではなく「ゼロカーボンタウンの先進地」として、語れるまちづくりを目指します。
2020年2月 大熊町2050ゼロカーボン宣言